1 - from www.mescal.it
2 & 3 - by Carolina Galbignani for Materie Prime Circolari SAS, from www.cosedimusica.it
フランキーは1969年、イタリア、トリノに生まれる。
1991年、イルマレコードから、最初のディスク "ファイト・ダ・ファイダ"(シングル)を発表。1万枚以上を売ってしまうこの曲は、イタリアの著名音楽業界誌 ムズィカ・エ・ディスキ誌上で批評家賞を受賞する。
1992年、ファーストアルバム「ヴェルバ・マネント」を発表。 続くツアーでは、ラン-DMC やビースティー・ボーイズのイタリア公演のサポートも務めた。イタリアの硬派なミュージックフェスティバルとして知られる、ローマ市のメーデー・コンサートやアレッツォ・ウェイブなどに出演する。
1993年、有名な俳優でもあるヴィットリオ・ガスマン(Vittorio Gassman)が監督する舞台 「キャンパー」 の音楽を担当。
1995年、マイケル・ブレッカーとともに出演した、ナポリ、プレビシト広場でのイタリア解放記念日のコンサートの折に、セカンドアルバムの核となる "ラ・カットゥーラ" ができあがる。
1997年、セカンドアルバム「ラ・モルテ・デイ・ミラコリ」を発表。このアルバムは、プラチナディスクの獲得はもちろん、15万枚以上ものセールスを記録する。その後、1年半に及んだツアーには、ローマ市のメーデー・コンサートやイタリアの有名音楽賞 タルガ・テンコ のコンサートへのゲスト出演などもあった。
1998年、シングル "クエッリ・ケ・ベンペンサノ" がプレミオ・イタリアーノ・デラ・ムズィカ(PIM)で最優秀シングルに選ばれる。また、フランキーは自身の曲 "クエッリ・ケ・ベンペンサノ" と "アウトダフェ" のビデオクリップのシナリオと監督を担当している。
1999年、トレンドを担おうという音楽プロジェクト コミティーヴァ によるアルバム、「メディチーナ・ブオナ」にフランキーとエリザ(Elisa)のコラボレーション曲 "ノッテテンポ" が収録される。また、ナズの"ヘイト・ミー・ナウ (フィート.パフ・ダディ)"をイタリア語に翻訳、ライブで演奏している。この年は、ティロマンチーノをはじめとして5本のビデオクリップのシナリオと監督を担当している
2000年、前年フランキーがシナリオを書き監督した、ティロマンチーノ(Tiromancino)のビデオクリップ "ラ・デスクリツィオーネ・ディ・ウン・アッティモ" がインディペンデント・レーベル・ミーティング(MEI)で最優秀ビデオに選ばれる。
2002年、この年、フランキーの世界はクラッシックとクロスオーバーする。まず、イタリアの国営放送RAIのラディオ3で、現代音楽のアンサンブル、アルター・エゴとライブコラボレーション。さらに同アンサンブルとは、フレデリック・ルゼウスキやジュゼッペ・イエラズィの曲を収めたアルバムをレコーディングしている。そして、フランキーが住むチッタ・ディ・カステッロ市で行われたフェスティバルの折に、アルヴィン・カランの現代オペラ「Brut Beat Brute Bruit」にも出演した。
2003年、ウータン・クランのRZAのアルバム「ザ・ワールド・アコーディング・トゥ・RZA」にフランキーの "パッサポルト・ペル・レズィステレ" が収録される。パチフィコのビデオクリップ "リ・オッキ・アル・チエロ" のシナリオと監督を担当、このビデオはインディペンデント・レーベル・ミーティング(MEI)で最優秀ビデオに選ばれる。またこの年、アレッツォ・ウェイブや、イタリア上院人権特別委員会が主催する人権擁護活動推進ためのチャリティコンサートなどにも出演。秋、セカンドアルバムの発表から6年ぶりとなるニューアルバム「エーロ・ウン・アウタルキコ」を発表。注目のパチフィコとのコラボレーション曲も含む。続くツアーには、ちょうど一時活動休止中だった話題のバンド スブソニカ(Subsonica)のドラマー、ニンジャ が約半年間参加した。
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