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記事・日記 - 2002年来日時のスブソニカ日記

Archivio - Diario dei Subsonica in Giappone 2002 

2002年4月30日〜5月1日

後ろのほうに座っているワルガキ午前10時半。 特に午前中という時間は、いつもの僕たちにとってはあまりなじみのない時間だ。 僕たちスブソニカ5人と、イヴァン、コケーゼ (マルコ)、ミルコ、チーポ、カミッラ、セム、トニーとラッファ、それとピエモンテ州政府の引率の人が2人、スタジオ ・カザソニカの前で待ち合わせた。 見送りに出てくれた、スタジオの近所のカフェ・エレナと、カフェ・アントネッリの店の人たち、フェルッチョ (訳注: マックスの父) とニコレッタ (訳注: スブソニカの秘書) にあいさつをする。 ニコレッタはチャーターバスの扉が閉まるまで、そしてたぶん閉まった後も、「大事なことは、そう、今言っといたほうがいいのよね、もしそうだとしても...」 とか、呪文のようなことを唱えつづけていた。 バスはピエモンテ州政府が差し向けてくれたものだ。 ここで僕たちは、いつものようにそれぞれの性格を表す行動に出る。 つまり、まじめなよい子は前の方の、ワルガキは後ろの方の座席に座ったのだ。 この前方と後方の極端な重量差にもかかわらず、バスの前輪が浮いたりしなかったという奇跡が起きたことはいうまでもない。

ミラノの空港。 チェックイン (誰かがチェックアップとも言った。) して、バーガー・キングで超そそくさと昼食。 手荷物検査とパスポート・コントロールを通過。 ヴィーチョが、イスラム教徒がカーペットを敷いてメッカの方向を礼拝しているのを見た、と誓っていたが、実際、待合室は結構緊張した雰囲気が漂っていた。 僕たちはテルアビブ行きのゲートの近くにいて、そのあたりは司教冠のようなかぶりものと青い長い衣のオンパレードだ。 マックスが、10年前にテルアビブから飛行機に乗ったときに質問攻めにあって. . . 、と、長くなりそうな話を始めたのだが、幸い、すぐ搭乗開始の時間になり、僕たちの航空機材へと向かう。 この巨大な応接間は、12時間の長きにわたって僕たちをもてなしてくれるのだ。 「ちくしょう、12時間だと? これで速いっていうのかよ!」 など、こういう場合ありがちなことばがぶちまけられる。

この飛行機の旅はすべての面において殺人的だった。 しかし、いろいろと有益なことのできる時間でもあった。 たとえば、映画を2本見ること。 “オーシャンズ・イレブン” とまったく無意味な “ビー ダズルド”。 たとえば、トランプ。 サムエル、イヴァン、チーポ、トニーとラッファは、この囚人のような環境のおかげで、眠りたいと思っているほかのたくさんの乗客から苦情が出るまでにスコーパ (訳注: トランプ・ゲームの一種) で盛り上った。 たとえば、この薄暗い夕暮れの下に果てしないシベリアが広がっているのに気づくこと。 そして子供の頃、深海探検のことを思い描いていた時のような、震えるほどの感動が湧き上がるのに気づくこと。 大きさに関する概念が変わっていくことを必然的に考える。 世界とはいかに巨大で、可能性に満ちていることか。 CG の世界地図を振りまわしてすべてを物語ったと言わんばかりの、たった10分間のテレビニュースのような僕たちの日常的視野がいかに狭いことか。 モンゴル、ゴビ砂漠、中国。 そうだ、中国にも砂漠がある. . . 。

午後離陸して、夜を超え、翌朝10時に着陸。 全行程12時間。 もう、みんな、うつろにばかやろうと言うぐらいの元気しかない。 眠れたのはほんの何人かだけだった。 大阪に着いて、飛行機を降りるとすぐに雨が降り出す。 マックスとブースタは、リドリー・スコットの映画 “ブラック・レイン” を思い出して活気づく。 マイケル・ダグラスとアンディ・ガルシアが裏切者のサトウを、まさに空港へと逃がすのだ。 映画でも雨が降っている。 そして今、ここでも雨。 僕たちは、巨大な工場やガスや石油のタンクがあり、煙突が何本も立ち並ぶ大工業地帯から海に向かって伸びている橋を渡っている。 なぜ、リドリー・スコットがあの映画の舞台に大阪を選んだのかがすぐにわかった。 そして世界中にこの街以上にブレードランナーの悪夢にふさわしい街もない。“. . . 汚れた雨。”

工業地帯1工業地帯2

ヘッドホンの中にはコーネリアスとキッドA (レディオ・ヘッド)。 様々な配管や貨物や海上のコンテナ船が入り乱れ、だんだん大げさになっていく風景の中を進んでゆく。 ここに比べたらマルゲラ (ヴェネツィア) はオアシスのようだし、ジェーラ (シチリア) は自然公園のように思える。 だからといってこの風景が醜いとはいえない。 それどころか、こんな状況にあっても日本人は風景としてのバランスを保たせているのだ。 単にフィギュラティヴな意義のないものは存在しない。 たとえば、あの水に浮かべられた丸太だ。 まるで卓越した美意識の一種を表すかのように、横たえられ、連結されている。 そして、いつもいろいろなものが漢字で彩られている。 漢字はすばらしい。 たとえそれが “有害廃棄物注意” とか “遊泳禁止、泳ぐとヒキガエルに変身” とかいう意味のことが書いてあるのだとしても、気配りが添えてあるように思える。

インテックス大阪高速の出入口をいくつも通過して、だんだんと速度を落としながら、やがて僕たちは宿舎であるホテルに到着する。 ホテルは、今回の大見本市の会場である壮大なインテックスのすぐそばだ。 僕たちは港湾工業地帯の奥まったところにいた。 ホテルの20階からは、運河や商船、超高層ビル、工場などの風景が独り占めにできる。 マグロの “サシミ” とてんぷらと、味噌汁とごはんの昼食の後、少し眠ることにする。 そして、それはひどい顔で目を覚まし、時差ボケから立ち直るための懸命な努力をする。 サウンドチェックが待っているのだ。 やがて僕たちは、見本市会場を入ってすぐの巨大なパビリオンにやって来た。 そこでは僕たちのスタッフが、眠気と戦いながらうつろな視線で動き回っていたのだ。 彼らはちょうど、ケーブルを引きマイクを設置し、ステージの設営と設備の配線をする、一言の英語を話すこともない現地の音響サービスチームとの共同作業を終えたところだった。 みんな、アリガトウ。 あくびの集中攻撃とめまいの襲うなか、2時間のリハーサル。 でも、何とかいつものペースを取り戻す。

いつものペースを取り戻す、なぜなら、ハイアット・ホテル (50階建だぜ、ヒューヒュー!) も僕たちを待っていたのだ。 そのホテルでは、巨大な、そして信じられないほどエレガントなホールで、(日本では、エレガントだということはエレガントだということを意味する。) 盛大に、レセプション - 式典 - ブーツの形をした国のワインと料理の試食会 が催されるのだ。 ピエモンテ州政府のかなりできる若きオーガナイザー、マッシモが、僕たちがこのパーティーに出席できるよう手配してくれて、このカジュアルな服装でも (悲しいほど遠回しな言い方だ。) 問題ないと保証してくれたのだ。 でも、僕たちは、現在ヒット中のイタリアのミュージシャンで、イタリアのエンタテイメントという文化を代表して選ばれたのだ、ということを自分たちに言い聞かせつつも、ほんとは、ここに来るのは、なんかバカみたいに場違い、な気がしていた。 パーティーの受付に招待者である旨を告げ、100人以上はいるだろうイタリアと日本のネクタイを締めた人たちと彼らと連れ立った淑女の方々の只中に、僕たちは到着する。

受付の日本人アテンダントの女性たちは手を口元に持っていくと、なにやら感激して小さな叫び声をあげていた。 「 えっ、スブソニカの人なんですか? ほんとにー? うぅっわぁぁぁ!!」 この思いがけないリアクションに僕たちは顔を見合わせ、自分で自分をつねってみたりするやつもいた。 でも、不思議でもなんでもなかった。 直後にイタリア語を学ぶ日本の女子学生の間で僕たちが小さな伝説になっているということを知るのだ。 この事実はパーティーの間、僕たちに自信をくれることになった。 僕たちはさっそく何らかの会話の中心になり、この街の商工業界のお歴々といっしょのお嬢さん方のサインの求めに応じたりした。 三菱の役員だという人と、その娘さんのためにもサインをしたのだが、おしゃべりしながらいつもの如く、その人の役職も立場もわからなくなってしまった。 「ええっと、あなたは、議員さんでしたっけ、それとも、社長、校長先生? ...領事ということにして、この話はもうしないことにしましょう。」 ビュフェで生ハムやパスタ、チーズ、リゾットなど味わいながら、ワインなど飲みながら、ジョークと親しみの中で僕たちは楽しんでいた。 ウエイターが、赤、白のワイン、スプマンテをトレイいっぱいに載せ、僕たちにそれを飲ませるために次々にやってくる。 映画のようだ。 僕たちの中で最後まで会場に残ったのはサムエルとマックス、それと、この期に及んで 「パーティーってマジここか?」 とのたまった不滅のイヴァン。 無敵だ。

僕たちと一緒にユキもいる。ユキは日本人の女の子で、フィレンツェで1年間勉強していた。 ラジオで僕たちの音楽を聴いたとかで、その後CDを手に入れ、僕たちにメールを書いたりしている。 僕たちへの思いから、日本語で書かれたスブソニカのサイトを作ったりもしている。 彼女は僕たちの日本滞在中の貴重な専属ガイド兼通訳になってくれるのだ。 日本ではイタリアと同じぐらい英語が通じると一般的に信じられているが、事実はこれに反する。 つまり、ほとんど通じない。 似たような語幹の単語からそのうち意味が類推できて、なんとなく分かり合えるようなレベルに到達する、とかいう状態でもない。 違う。 ぜんぜん通じない。 おじぎ、微笑み、そして僕たちにはまったく何も分からないのだ。

ホテルのすてきな部屋に帰り着いた僕たちは、そこにある様々なものに我を忘れて目を見張ることになった。 水をまき散らすコーヒーカップの持ち手という感じのビデ (訳注: ウォシュレット?)、湯気で曇らないように温まる鏡、ポータブルのパソコンのためのケーブルはすでに机の上まで来ていて (ニンジャは、その目を疑った。)、電話とファクスがある。 縞模様の長いねまきと、スリッパ。 ベッドの脇のナイトテーブルには、室内の照明とエアコンと音楽のボリュームをコントロールするパネルがついている。 湯沸しポットがあり、そのそばには緑茶のティーバッグとインスタントコーヒーの小さな袋、それとなんだかよくわからない謎めいた物がたくさん。(訳注: 昆布茶、梅昆布茶、おかきなどの小さな袋があったと思われる。) ただ生きているというだけでこんなに多くの驚くべきものを発見するなどと、誰が思うだろう。 しかしその発見も爆睡して目覚めた後なのだが。 22時、時差という魔法のせいで、どろどろに疲れきった僕たちの記憶はここで途絶える。