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記事・日記 - 2002年来日時のスブソニカ日記

Archivio - Diario dei Subsonica in Giappone 2002 

2002年5月2日

そして朝食の時間のこと。 午前8時30分に起床 (時差ボケの魔法だ。)、20階のレストランで箸を操るのに夢中になっているとき、僕たちはふと、ものすごくジャパニーズな風景に目を止める。 窓の下、道路の向こう側の資材置き場で、3つの違った色の作業着で分けられた30人ぐらいの作業員の人たちが、それは整然とした運動を一斉にやっているのだ。 ランニング、体操、ストレッチ。 その後、幾何学的な列を作って集まり、じっと動かない。 きっと今日の仕事の注意点などを聞いているのだと思う。 「万里の長城に比べると、まるでレゴのパーツの一つを作るような今の仕事に、我々はなんともむかついているわけだが...」 とか言う話を聞かされているのだということを知っても、僕たちは驚かないだろう。 なぜならここから見下ろす風景は、本当にレゴで作ったミクロの世界のようなのだ。

「何する?」 ということで、見本市の開会式へ行くことにする。 出展者入館証で武装した僕たちはステージの方へ行ってみた。 きのう僕たちの機材がいっぱいに乗せられていたステージ上では、機材は半円形に隅のほうに片付けられ、ステージ前には、たくさんの人が着席している。 1ダースほどの人数のネクタイを締めた人たちが、その国籍に応じてイタリア語 - 日本語、日本語 - イタリア語などの通訳を交えながら短いスピーチをする。 そして、開会を宣言するテープカット。 最前列には、結果的にヴィットリオ・スガルビのように注目されてしまった、ヴィットリオ・スガルビ (訳注: イタリアの国会議員、美術史家) にそっくりな人が座っていた。 後で、出展者と出展管理関係者のたわいもないおしゃべりの中で、名前は知らないが日本の経済関連の政務に携わる政治家、のスピーチの時、大げさにあくびをしていたこの無作法な議員 (?) に向けられた批判を耳にした。 . . . そう、日本人に対しては、やっていいことと悪いことがある。 日本の空母を撃沈するとか、何かの武術で (そんなものができればの話だが) こてんぱにのしてやるとか、日本映画は信じられないぐらいつまらないものばかりだとか言うのはいい。 でも、絶対にやっちゃいけないのは、無作法なことだ。 日本人はこれには我慢できない。 . . . それから、所作の大事なしきたりがいくつかある。 まず、何をおいても、お辞儀をしてあいさつをすること。 より国際的な日本人は握手しながらお辞儀をしたりはしないが、握手は普通のあいさつだとはあまり思われていない。 西洋人が日本の習慣を何から何まで覚えてくれることは期待していないが、そういうことをちょっと覚えたいような西洋人のそぶりを見るだけでも、日本人はうれしがる。 お辞儀に関しては、“007は二度死ぬ” のショーン・コネリーを見習うといい、つまり、会釈だ。 本当は、目の前にいる人によって、会話の相手の重要度のレベルによって、お辞儀の深さには種類があるのだが。 . . . 絶対に人前でハナをかんではいけない、箸で遊ぶことも、名刺をぞんざいに扱うことも、食卓に出される熱いナプキン、“オシボリ” で顔をふくこともいけない。 エトセトラ、エトセトラ. . . 。

子供たちのステージそのあと、3才か4才ぐらいの子供たちによる、かわいらしい鼓笛隊のスタンダードナンバーと名曲集のステージを見て、それぞれ別々に会場を散策、そして、ピエモンテ州から出展しているレストランに集合。 ピエモンテ州の出展はイタリアパビリオンの60%を占めている。 もちろん僕たちは全員、気がふれたように和食に走ることに何の異存もないのだが、なにしろこのピエモンテ料理のレストランでは僕たちはゲストなのだ。 (訳注: つまり、タダで食べさせてもらっていた。) いずれにせよこの8日間に、朝食から夕食までの間、エラが張るほど “スシ” をほおばる時間はいくらでもある。

そろそろ僕たちが演奏する時間だ。 コンサートの開始はなんと午後2時の予定 (訳注: イタリアでは、ポップ・ロックのコンサートは通常午後9時以降に始まる。)。 日光と会場に並べられた椅子。 きっと奇妙な体験になるに違いない (訳注: 通常スブソニカのコンサート会場に椅子はない。)。 でも、いいことはまだまだある。 演奏時間がだんだん近づいてきて、僕たちは、観客の大部分が60代だということに気づく。 超日本的な人たちだ。 確かに、平日の午後2時にスブソニカのコンサートを見に行く、などという種類の気晴らしは、リタイアした人たちぐらいにしかできることではない。 親しみにあふれた大阪のクリスティーナ・ダヴェーナ (訳注: 親しみにあふれたイタリアのタレント、歌手、女優。)、という感じの司会者がステージに上がり、僕たち一人一人を日本語で紹介する。 観客は興味を示す。 僕たちは思わず笑い出す。 演奏している最中もかなり笑った。 そして、観客は、みんなひどく注意深げに、座っている。 手拍子する人もいる。 少しづづ若い人たちが周りに集まってきて、そのうち何人かはネオ・パンク風のファッションだ。 興味津々で、そして楽しんでいる。 おもしろい人が一人、観客席の後ろの方で最初から最後まで腕を振り上げて手拍子していた。 ステージを後にする前、ニンジャがいつものように観客の写真を撮ったときも、その人はテンポ良く手をたたき続けていた。

観客1観客2観客3

ステージを降りて、僕たちの新しい年配のファンの人たちと対面、CDなどにサインをする。 終りの何曲かのとき、ステージ前の狭いスペースで踊っていた若い人たち、より若い女の子たちもそこに来ていた。

そして、今や、大阪の街が僕たちを待つ。 見本市会場至近の宿舎でシャワーを浴び、着替えると、みんなチーポの後に続く。 基本的な大阪の地理をいくらか覚えているチーポは、東洋の地の小さなモーゼのように僕たちを引き連れていく。 (訳注: チーポは2001年10月、マウ・マウ というバンドのスタッフとして、一度大阪に来たことがある。) ホテルから駅へ向かう、秒単位で到着するバスを待つ。 時間どおりに到着、拍手。 その後は地下鉄。

道頓堀サムエル最初の目的地、でんでんタウン。 300にも及ぶ専門店が建ち並ぶ、テクノロジーとプライスダウンのパラダイスだ。 行きたくない、とか言っていたマックスだが、一人だけ何か買ったやつだ。 イタリアでは見つからないヘッドホン. . . 。 中古に関しては、ほんとにいいものがそろっている、でも僕たちの購買力はそれほどでもなかったりする。 まるでおもちゃ屋に来た子供のように、ニンジャ、チーポ、セム、ブースタとサムエルは、トランス状態で巨大エレクトロニクス・ショッピング・センターの中を歩き回っていた。

また地下鉄に乗って降りると、状況はもっとおもしろくなる。 僕たちがいるのは “ドウトンボリ” 界隈で、ここはネオンサインのパーセンテージが世界一、高いところだ。 ブレードランナーにまさにぴったりなのだ。 暗くなり始め、通りは人で溢れている。 路地と路地の間にアドスクリーン、音、ショーウインドー、照明、そしてまた照明。 完全に頭がボーっとしてしまう。

道頓堀ニンジャ大阪はまた、食の中心地としても知られる。 現地在住イタリア人の気の利いた提案に乗って、僕たちは、ぜんぜん外国人観光客向けじゃない、 (事実、店内に西洋人はあまりいなかった。) 目を見張るような、すばらしいレストランに入った。 全部日本語で書いてあるメニューにも僕たちはまばたきを忘れてしまう。

日本酒をたらふく飲んだ後、大部分の人は帰ることにする。 サムエル、イヴァン、カミッラ、トニー、ラッファと見本市の出展関係の女の子たち全員は、どこか飲みに行こうといって残る。 帰る時、歩きながらミルコが予言めいたことを口にした。 「あいつら、カミッラが迷子になって大弱り、とかいうことにだけはなんなきゃいいんだが。 あの子はいつもぼーっとしてるからなぁ。」 そしてカミッラはほんの5分後に姿を消してしまい、大阪の中心街の道という道、橋という橋の長時間にわたる入念な捜索の後、発見されることになる。 (訳注: この夜のカミッラ(ライティングエンジニア)捜索は4時間に及んだ。) 当のカミッラは、こんなことになってしまった責任が自分にあるのかもしれない、などということは微塵も感じさせない悪口雑言を、ブレッシャなまりのイタリア語で叫んでいたのだった。