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記事・日記 - 2002年来日時のスブソニカ日記

Archivio - Diario dei Subsonica in Giappone 2002 

2002年5月4日

内線で体調が悪いということを伝えてきたマックス以外の全員が朝食をとる。 14時に始まるライブのために出発するいつもの待ち合わせの時間に、マックスの体調は最悪の状態に達する。 どうしようもない。 激しい腹痛に屈しているギタリストはコンサートを棄権するしかない、そしてその結果、僕たちも。 日本では、直前に予定を変更するということは、いつも少々良くない意味に解釈されてしまう、そうでなくても前々日、前日の成功に続く今日のコンサート、僕たちを待つ観客の数は目に見えて増えている。 わざわざ東京から二人の女の子も来ていた。 極度に緊張しているユキの同時通訳で以ってお詫びのあいさつをする、僕たちのシンボリックなステージへの登場で、みんなに納得してもらわなければならない。 「健康上の問題を中止の理由として」=「ÖOOTOOHHAFEGUEFGERYRYURUH$#^^*Cmax」 (同時通訳は大体こんな感じ) 観客は不安と物静かさをないまぜにした反応を見せ、最後には、わかってくれたようだった。

大阪城 by ニンジャということで、みんなヒマになってしまって、市内探索を続けるために大坂の中心街へ。 ニンジャは博物館と大阪城をたずねて一人消えていく。 サムエル、ヴィーチョとスタッフの何人かは、ガラクタみたいなパソコン用品を安値で買占めに行く。 ブースタは再びタトゥー・アーティストのもとへ。

マックスが部屋で、ニンジャが親切に貸してくれたゲームでハリー・ポッターを何人も死なせていた頃、夕食は大坂の中心街のレストランの “タタミ” の上だった。 夕食の時、スタッフの間で活発な議論が始まり、しまいには、多かれ少なかれ全員を巻き込んでしまった。 全員が全員と言い合っている。 突然の大混乱だ。 僕たちにとってはいつものことなのだが、ユキは完璧に困惑している。 日本人は実は、とても冷静で、自制心を失うことを好まないし、我々イタリア人の民俗的人間関係の様式には慣れていない。 次の日、イタリア気質について、もっと何か彼女に説明しなければならない必要性を感じることになる。 なぜならそれに、その日だって何時間かしたらいつものように、まるで何事もなかったかのように、日本酒で “カンパイ” するために、みんないっしょに夕食の食卓につくことになるのだ。

ブースタ夕食後、サムエルに率いられた小隊がアンダーグラウンドな感じの夜の街を探索に行き、アメリカ村あたりで、いい感じのヒップ・ホップな夕べを過ごした。

日本の都市は異様に静かだ。 車のエンジンは、実質音がしないようなものだ。 道を渡るときは、かなり気をつけないといけない。 なぜなら車の来る音が聞こえないのだ。 そしてそれ以前に、ちょうどイギリスと同じように、道を渡ろうとすると思っているのと反対の方向から車がやってくる。 クラクションの音を聞くことはない。 携帯の着信音も聞こえない。 (訳注: イギリスでは日本と同じように車は左側通行、イタリアでは右側通行。)

とうより、見方によっては携帯自体が静かだ。 みんなが持っていてしょっちゅういじっているのに、電話をしている人はほとんどいない。 オプションでGPSがあるのは知っている。 手帳として、あるいは SMS のため以外に、使われているのだと思う。 もちろんカメラとしても使われている。

道頓堀道でも、便利このうえない地下鉄の車内でも、いくつもある地下道でも、耳障りな大きな音、わめき声、大騒ぎなど、本当に全く気配がない。 日本人ははなはだクールだ。 高レベルの生産作業、長時間の労働、マニアックなまでの時間厳守へのこだわり(テレビ局で仕事をしている僕たちの日本人の友達が、30秒遅れて大変なことになった、と言う話をしてくれた。)、などにもかかわらず、予想に反してストレスの徴候は見かけない。 神経症的な徴候は、北イタリアの街でのほうが比べようもないほどより明らかに見てとれる。 しかし電車の中でしょっちゅう寝ている人たちの表情に浮かぶ、本当に疑いない疲労の色が目につく。