きのうの夜の後遺症を何とか克服して、僕たちが思い出すのは、今日は日本滞在最後の日、京都を訪れる日だ、ということ。 予定していた時間からとんでもなく遅れて出かける準備をする。 大阪の街を縦断してユキの泊まっているホテルに寄ると、悲しそうな顔をした彼女がいた。 30秒遅刻して大変なことになったという話をみんなは覚えているだろうか? そう、僕たちは2時間も遅刻していたのだ! 彼女はもうあきらめていたらしく、僕たちがやってきたのを見ても信じられないようだった。
僕たちは驚愕するような状況に遭遇する可能性に満ちた、14人の小部隊になった。 まずは電車の通過。 日本では明らかに複数の線路が並行して走っていて、特急が急行や各駅停車の電車に “アロハ〜” して追い越していくのだ。
正確に40分で僕たちは古都に到着していた。 第二次世界大戦の爆撃を逃れた数少ない都市の一つ。 大部分の木造の寺院が集中しているところだ。 それらは仏塔と同じ形の屋根をしていて、日本の歴史のシンボルのようになっている。 最初の寺は、ガイドブックによると世界最大の木造建築だという。 僕たちは靴を脱いで中に入った。 この場所は、即座に他のどんなカルトな場所とも比べ物にならないような調和の感覚を呼び起こす。 僕たちは畳に座り一息入れる。 外からはただ雨の音が聞こえてくるだけ。 時間のことなど少しも気にすることなく、薄明かりの中の木像や何やら象徴的な様々なものを注意深く見つめていた。 ふと、誰が何を言うともなしに僕たちは立ち上がり、拝観を続ける。 別の寺では何かの儀式に遭遇する。 僧侶によって長々とお経が唱えられていた。 寺の庭に降りて龍の口から水の湧き出ている泉にも行ってみた。 サムエルが写真を撮ろうとする。 “な、みんな、お寺バックにして、日本人観光客みたいに写真撮ろうぜ。 . . . は〜い、日本人観光客のまねして〜!” 写真は、当然、みんなには見せてあげない、絶対に。
食堂のようなところで昼休み。 オーダーはユキに任せた方がいい。
午後はいくつかのグループに分かれた。 ニンジャとマックスは仏教寺院の拝観を続けるために雨の中に出て行った。 サムエル、ヴィーチョ、チーポ、カミッラとスタッフはおみやげ探しをしたあと、とある禅寺を訪た。 ブースタはちょっと気取って寺院をいくつか訪れたあと、繁華街のど真ん中に打って出た。 おみやげ屋めぐりをしている時、どはずれたボリュームでメタル系の曲が聞こえてくる店があった。 そして京都のネイティブと思われるこの店のスタッフに、じろじろ見られた、ということに彼は気づく。 ここで彼は思いもよらない、イタリア語-日本語-英語の会話をすることになる。 何か奇妙なことからスブソニカのメンバーだということがわかり、本人ははなはだ不本意だったのだが、とある女性ロックスターとお似合いだということにされてしまう。 写真、サイン、プレゼント、おじぎ、ほほえみ、小さな叫び、満面の笑みとなんだかわけのわからないことば、などなどいろいろ。 別れ際が過酷で、手を振って、とことんていねいにおじぎをしてくれて、それは十分以上も続き、店を一軒出るのがこんなに大変だと思ったことはなかった。 その後、偶然同じ場所を通りかかったヴィーチョとサムエルを同じ運命が襲う。 この店の人たちは、バンドのメンバーをサイトで見知っていたのだ。
雨の降る禅寺の石庭、全員びしょぬれで、あんまり禅という感じじゃなかった。 京都の古い街並みの中で雨に降られるというのも、最高、とういうわけじゃない、特に道に迷ったりすると . . 。 マックスとニンジャがそうだった。 しかし彼らは、神々しい1001体もの仏像と庭のある、すばらしい三十三間堂という寺院を訪れ、まるでマンガの中から出てきたように興奮し、もう天気など気にせず、たぶんとんでもない情熱に満たされて次の訪問地に向かった。 しかし、もはや閉まった後だった京都御所も、最高、というわけにはいかなかった。 きっとみんな想像できると思うが . . . 。
帰りは、待ち合わせはせずにそれぞれ大阪に戻る。
ギタリストとドラマーの探索熱は大阪に戻ってもおさまることはない。 二人は高層ビル街を通りかかり、この日本滞在中に食べた中で一番おいしいレストランを発見する。
日本で過ごした印象は、やはり対照的なものになった。 サムエルとヴィーチョにとって日本というところは、公共交通機関の整列乗車をはじめとして、整然としすぎていてどうにも落ち着かないところ、ブースタにとってはさながら現代のバビロン、マックスとニンジャにとって、そこは信じられないぐらい魅力的なところ。 ニンジャに至っては今すぐ引っ越してもいいぐらいだ。 みんな、まさかそんなことはないだろうと思っていただろうか?