新人で、そして(もしくは)それほど無名でもないイタリアのアーティストについて書くために、またもやわたしはここに来た。何週間も前からこのあたりで起こっていることだが、相次ぐ注目すべきアルバムのリリースは、デモや種々雑多なニュースに新作のレビュー・プレゼンのスペースを割くことを、またもやわたしに許さない。いずれにしても大いなる喜びではある。
この5月の初めにおける二つの提案の第一は、スブソニカのセルフタイトルのデビューアルバムだ。(レーベルはメスカル。)このトリノ出身のグループには、アフリカ・ユナイトでの長年にわたるめざましい活動と、プロデューサーとしてクレジットされている、多かれ少なかれアンダーグラウンド的な作品によって、その名をイタリアン "ロック" ヒストリーに刻まれた、マックス・カザッチ ― 評価の高いギタリストでもある ― が参加している。
秀逸なプロモーションシングル “イスタンタネー”においては 、耳なじみの良いメロディーとグルーヴへの愛、アレンジの予測不可能な方向性といったもので入念に描かれたフレスコ画のような豊かな色彩、抗い難い魅力をもたらしながら、バンドの高いポテンシャルが効果的に証明されていた。あいまいなところのない完璧なその仕事と同じように、スブソニカのプロジェクトは、批評レベルでより良い評価を受けるためだけではなく、商業レベルでもより幸運な結果をもたらすための、整然と並べられたすべてのカードを手にしている。自信をもって言うが、精神的に健康なDJ は誰一人として、こういった曲を鼻であしらうことはできないだろう。それは、異教的な引用における花嫁、いわゆるバスカルチャーから出発した混合に対する、とある奇抜なアプローチの成果だ。つまり、都市型神経症、テレビと映画からの引用、擬似リゼルギン酸的魔力、フィジカルなインパクト、テクノロジーを駆使した作業、ひずみの中のスパート、反乱とディベルティメントが一つの完璧な音の中にある、知性においてのみならず、あふれんばかりに魅力的なポップミュージックの精神においても、その特質を誇っている曲なのだから。
時代とともに歩むスタイル、つまり、ステレオタイプのことなど気にせず、音楽的イマジナリーと過去の体験を発掘するうちに自覚を深めながら、慣例にとらわれない勇気あるやり方でインスピレーションのカードを切っていく。ダンサブルなリズム、ゆがんだハーモニー、使い放題のサンプルのことなど、わかりたいとも思わないロックンロールの厳格な保守主義者たちは、もちろん論外だ。そして結局この連中は損をする。なぜなら、これほど魅力的、知的で洗練されたエンタテイメンであるアルバムは、彼らが正統とするミュージックリスニングの信条とは無関係に、満場一致のコンセンサスに値するからだ。さてスブソニカには、アルバムに対する必然的な詳しい解説(次号5月27日の "フオーリ・ディ・ムッキオ" 16ページ版に掲載)を待つ間に、早々にイタリア中のラジオでオンエアされるようにという、我々からの祈願が届くことになる。
フェデリーコ・グリエルミ (Federico Guglielmi) www.ilmucchioselvaggio.it