スペース 1999。テレビを見ることに明け暮れた幼年時代が過ぎ去った後の日々を、どんなふうに過ごしたのか思い浮かべてみる. . 、あの運命の年を。 そして最後に何かがやって来た。 他の銀河からでもなく (いや、そうかもしれない?)、他の星からでも、外国からですらない。 プレーヤーの中で回っているCDはいわば自家製、トリノのカザソニカ (訳注: 「音の家」の意。 スブソニカのスタジオ。) で作られたものだ。
それはスブソニカのセカンドアルバム " ミクロチップ・エモツィオナーレ "、これで退屈ともおさらばだ。 何よりもまず、アイディアの現代性、完成度の高さ、そして - 近頃音楽をやっている人たちにしては珍しいことなのだが - 宣伝が不足していることに注目する。 カザッチ (訳注: マックス・カザッチ。 スブソニカのギタリスト、C-Max。) の率いるグループは、革命を約束したりはしない。 自らの主義主張の中で信念とするものを明言はするが、あとは自分たちの仕事をすることを考えているだけだ。 それは、リズミックなドラムン・ベースがファンキーなギターとエージェント 007 にぴったりのハーモニックな盛り上がりに混じりあう、一枚のアルバムを作り上げること。 また、それは上質のダンスミュージックといった印象のある、映画を見るようなスペース・ミュージックをクリエイトすることだ。 そして歌詞は、明確な警告や注意の喚起に満ちている。
デプレ、ソンデ、コルポ・ディ・ピストーラ (魅力的なビデオクリップと共に発表になった最初のシングル) にみられるような、きついことばをカザッチはこのアルバムで連ねた。 イル・チエロ・ス・トリノ では、こういったことばとエモーショナルなストーリーとが、アウロラ・ソーニャ ではシュールな想像と常識からの解放とが、交錯している。 選ばれたことばとテーマは多くの効果をもたらしている。 たとえば最低でもインスピレーションのレベルで言えることは、トリノのようなとある街の日常的な現実の中で、その街の人々の使うことば、身振り、思案などを表現し、ダンスへと誘い、デプレ - 憂鬱 - な時間を払い清め、今やひとつのジェネレーションそのものである現実を物語ってくれるということ。 リベリ・トゥッティ は、ダンスフロア向きの、まさに解放の賛歌で、あらゆる類の鎖を断ち切ることを求め願う、このアルバムのシンボルのような曲だ。 すべては、ストラーデ、 デプレ にあるような、そしてこの リベリ・トゥッティ にもある、抗い難いグルーヴに基づいている。
注目すべきゲストは、ブルヴェルティーゴのモルガン (ディスコラビリント)、ダニエレ・シルヴェストリ (リベリ・トゥッティ)、そして超ハードなゴーストトラックを準備してくれた DJ クラウディオ・コッコルート (イル・ミオ・DJ)。
聴衆との間が、ラジオ、レコード業界、近視眼的物の見方などというバリケードによって阻まれているとはいえ、よりいっそう後戻りできない段階に直面したイタリアン・ミュージックが “新しい” という方向へ向かう歩みにおいて、 " ミクロチップ・エモツィオナーレ " は非常に重要なアルバムだ。
そして、威圧したり凌駕したりしようとするのではなく、むしろ反対に、それ自体に引き寄せるような、関心を惹き、感動を呼び起こすような、耳を傾けたくなるような音楽と、我々は今いっしょにいる。 未来はますますバラ色だ。
(訳注: アルバム「Microchip emozionale」は、2000年12月にプラチナディスクを獲得している。)