スブソニカ

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バイオグラフィ - スブソニカの紹介

Biografia - Introduzione 

現在のメンバー

バス・ヴィーチョ - ベース
ブースタ - キーボード、プログラム
サムエル - ヴォーカル
チ・マックス - ギター、プロデュース
ニンジャ - ドラムス

ハイブリッド・ポップロック?

スブソニカは、北イタリアの都市トリノで1996年に結成された。結成メンバーは、サムエル(ヴォーカル)、チ・マックス(ギター、プロデュース)、ブースタ(キーボード、プログラム)、ピエルファンク(ベース、99年にバス・ヴィーチョと交代)、ニンジャ(ドラムス)の5人。翌97年にインディーレーベルからアルバム「スブソニカ」でデビューする。

エレクトロニカ、音響系といったテクノロジーと4つ打ちベースドラムやドラムンベースのようなダンスビート、レゲエやスカ、ヒップホップ、そしてイタリアのお家芸である映画音楽的な美しいメロディラインとオーケストレーションが、ときに溶け合い、ときに交錯する、緻密なハイブリッド・ポップロックとでもいうようなスブソニカの音楽。後に、レディオヘッド、デペッシュ・モード、ケミカル・ブラザーズ、マッシブ・アタックなどを引き合いに出して語られることになる彼らの音楽は、それまでのイタリアにないタイプの特異なポピュラーミュージックだった。(そして最新アルバム「テレストレ」は、70年代のプログレを含めた "ロック" がキーワードの一つになっている。)チ・マックスことマックス・カザッチが、それ以前はイタリアの有名レゲエバンド、アフリカ・ユナイトのギタリストだったにしても、またギタリストとしてはもちろん、ソングライター、プロデューサーとしてもすでに評価を得ていたにしても、カテゴライズに困難をきたさざるをえないスブソニカの音楽に対して、当初イタリアのミュージックシーンは慎重だったようだ。しかし、聴いてもらうために、というよりも売るために巷にたれ流される音楽に疑問を持つ、あるいは飽きている音楽ジャーナリストやファン、スタイリッシュな音楽やトレンドに敏感なMTVやラディオ・ディージェイ、ポポラーレ・ネットワーク(ラジオ)の人気音楽番組パチャンカなどは、比較的早くからスブソニカに注目していた。 (余談ですが、わたくしy.spada的には、初めてスブソニカを聴いたとき、(2ndアルバムでしたが。) "ボーカルにイタリア語で歌うデイヴィッド・シルヴィアンを迎え、ダンスとレゲエの洗礼を受けたエクスペリメンタルでヘヴィなクイーン"、という印象でした。こんなことを書くと年がばれそうです。)

スターダムへ . . .

アルバムデビュー後、年間150回以上にも及ぶようなヘビーかつ地道なコンサート活動を続けながら、ビッグネーム、アントネッラ・ルッジェーロとの幸運なコラボレーション(97年)、"スブソニカはサンレモに何をしにきたのかわかっていない。" とも評されたサンレモ音楽祭出場(00年)などを経て、スブソニカの知名度と彼らの音楽への共感レベルは上昇の一途をたどる。

サードアルバム「アモーレマティコ」、DVD「チエロ・タンジェンツィアーレ・オヴェスト」(2004年9月発売)、そして2005年4月発売の最新アルバム「テレストレ」の3枚のディスクはイタリアの公式セールスチャートでトップに立った。さらに、セカンドアルバム「ミクロチップ・エモツィオナーレ」、サードアルバム「アモーレマティコ」、4枚目のアルバム「テレストレ」がプラチナアルバムを獲得。また、2000年と2002年に、MTVヨーロッパ ミュージックアワードのベストイタリアンアクトも受賞している。コンサートの観客も増加し続け、近年ローマ、ミラノ、地元トリノなどの都市部では、屋根つきの会場でも1万人超のコンサートになることがもはや珍しくない。ちなみにこれまでの最多観客数は2003年9月、ローマの野外コンサートでの5万人だ。

イタリア国外では、スイスのイタリア語圏で何度かコンサートを行っている他、2002年5月、日本におけるイタリア年2001-2002のイベントの一環として、第25回大阪国際見本市(於インテックス大阪)でスブソニカのコンサートが行われている。2003年1月には、フランス、カンヌでの国際音楽見本市 ミデム (MIDEM) で行われた、イタリアンミュージックのトレンドを担うバンドを世界に紹介するイベント、イタリア・ウェイヴ (Italia Wave) のコンサートに出演した。今年2006年は1月、オランダ フローニンゲンのユーロソニックに出演している。

サイバー・ヘッドクォーター

スブソニカはイタリアで初めて、インターネット経由の自力プロモーションの効果で有名になったバンドかもしれない。アングラオルタナバンド、スブソニカとその最初の所属レーベル(インディー)が最も苦慮していたのはプロモーションだっただろう。が、幸い、トリノ理工科大学情報工学科に当時在学中のドラマー、ニンジャがいた。(なお彼はその後、大学を卒業するのが難しいといわれるイタリアで、ハードなバンド活動をしながらも総合成績110点満点のところを110点で見事に卒業している。)スブソニカはウェブサイトを彼らの行動拠点のひとつにすることに決めた。98年秋、ニンジャの手になるオフィシャルサイトがオープン、"クァルティエール・ジェネラーレ" (=本部、あるいは司令部の意)と名づけた。以後、メンバーの手でサイト上やメールニュースによって各種告知がなされ、mp3ファイルなども掲載して、ウェブ上でできうる限り情報が提供されることになった。

また、これは彼らの豊かな人間性と知性、そしてまじめな性格とが大前提となって実現することなのだが、日記の掲載、掲示板やメールを介しての日常的なファンとのやりとりによって、インターネット経由でファンとの信頼関係も築かれてゆく。2000年、大方の予想を裏切り、スブソニカがMTVヨーロッパミュージックアワードのベストイタリアンアクトにファン投票で選ばれたとき、インターネットを媒介として構築されたスブソニカとスブソニカファンのコミュニティが、ファンクラブ以上に機能することが証明されたと言える。(そして、いまだにスブソニカのオフィシャルファンクラブはない。)

以前のスブソニカ・オフィシャルサイトは、ミュージシャンのサイトにしては妙に素っ気ないデザインだったかもしれないが、機能的には快適そのもの、コンテンツ的には充実そのものだった。2005年4月22日、4thアルバム「テレストレ」の発表の日、xhtml + css という最近注目のストラクチャーと、インパクトのある赤を基調として新たなサイトに生まれ変わった。外注物のアトラクティブなフラッシュコンテンツも使用しているが、日常的な告知をはじめとしたサイトの運営管理は、相変わらずニンジャを中心としたメンバーが行っているという手作り感も好ましい。

自由でありたい

プロモーションの予算は少なかったかもしれないが、フレキシブルでフットワークの軽いインディーレーベルの特長を生かして、陰になり日向になりスブソニカをサポートしてくれていたレーベルだった。しかしスブソニカが成功への手がかりをつかむたびに、また成功のステップをひとつ上るたびに、レーベルが彼らに期待することが変化していったのだろうか。バンドにとっては思いもよらないようなプロモーションや、バンドがその活動に制約を受けている、あるいは活動を強制されているように感じるレーベルのアクションが始まる。誰がいい、悪いという問題ではないのだが...。 やがて重苦しい雰囲気が広がりだし、物事が先に進まなくなってくると、自分たちが目指してきた方向をレーベルはもう向いていないということを、ついにスブソニカは認めなければならなかった。

2004年9月、旧レーベルとの契約期限切れを以って、スブソニカはVirgin/EMI に移籍する。このCDの売れないご時勢に、大掛かりな宣伝をしたわけでもないのに、その時点までに発表していたスタジオレコーディング盤3枚のアルバムのうち、2枚をプラチナディスクにしている気鋭の実力派の移籍だ、もちろん引く手あまただったに違いない。

ちなみに、移籍先のレーベルとは、バジェットの用途をはじめとして、アルバムの発売日、コンサートのプロデュースなど、すべてバンドに決定権があるという、おもしろい契約をしている。実はそのキャリアのごく初期から、プレジデンテ(=大統領、社長などの意)の愛称でも呼ばれるギタリストのマックスを中心にして、自分たちでマネジャーを雇い、やがて秘書を置いて日々の活動を自力でマネジメントしてきた経験と実績が、スブソニカにはすでにあるのだ。こうして、自由であるということが単純にアナーキーなことではなく、そのために果たすべき義務や責任があるということも彼らは知っている。これまでもレーベルにおんぶにだっこだったわけではなかったのだ。実務的な面でも珍しく自律のできた、独立したバンドとして評価されていることも、スブソニカが特異な存在と認識される所以のひとつだろう。考えようによっては、基本的にインディーズ(独立系)なバンドだ。

あらたなパースペクティヴ

オフィシャルサイトがスブソニカの情報発信拠点なら、トリノ市内ヴィットリオ・ヴェネト広場の一角にあるスタジオ Casasonica はミュージシャンとしての現実の行動拠点だ。このスタジオでスブソニカのすべての曲が生まれる。スブソニカのヴァージン/EMIへの移籍の後、カザソニカが、レコーディングスタジオとしてのみならず、レコードレーベル、マネジメントオフィスとしても動き出した。

レーベル カザソニカは、スブソニカのギタリスト、マックスが製作するレーベルで、EMIがディストリビューションする。 2005年2月11日に、スィキティキスのデビューアルバム「フーガ・ダル・デゼルト・デル・ティキ」が、カザソニカから第一弾のアルバムとしてリリースされている。 (注: スブソニカのアルバムはヴァージンのレーベルで発表される。カザソニカではない。) マネジメントオフィスとしては、スブソニカとスブソニカのメンバーの平行プロジェクト、レーベル カザソニカ所属のアーティストのマネジメントを行っている。

これまで、自分たちの態度や立場を常に明確にしたい正直さや、感覚的な鋭さやナイーヴさ、いわゆる少々お人よしなところが裏目に出て (本人たちにとっては) 思いもよらない事態を招き、当惑したこともあるようだ。こういった経験も踏まえ、あせることなく、それぞれのアーティストの個性を見極めそして生かしてゆく、真にアーティスト・フレンドリーなレーベル、マネジメント環境をクリエイトしていきたいとマックスは語る。

アルバムデビューから8年たった2005年、自分たちが得た有形無形の利益をスブソニカ自らが管理し、後進のアーティストをサポートすることで社会に還元していく、その体制が整い始めるのだった。

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