イタリア、トリノ市内を流れるポー川沿の ムラッツィ あたりで、Samuel、 Max、 Boosta の3人が新しい音楽プロジェクトの胎動ともいえる動きを始める。 彼らの間で交わされた数え切れない意見、言葉の産物は、未だ実現し得ない音楽を実現するための、アイディアと興奮にも似たフィーリングを結びつける必要性の高まりだった。 また、この未知の音楽が踊れる音楽になるということは確実だった。 夏、 Pierfunk と Ninja という強力なリズムセクションを加え、 SUBSONICA が結成される。 メンバーは、
マックス のスタジオ、 Casasonica (カザソニカ) でセッション開始。
春、ファーストアルバム 「Subsonica」 が、インディペンデント、Mescal のレーベルで発売される。 なんとも形容しがたい音楽と、その結果であるカテゴライズの困難さが多少の当惑を引き起こし、評価はみな慎重なものとなる。 地道なコンサート活動開始。 この夏、 Antonella Ruggiero (アントネッラ・ルッジェーロ) からのオファーで、彼女の Matia Bazar 時代の2曲を共にリメイク、アントネッラのアルバム 「Registrazioni moderne」 (1997, MCA / Universal) に収録され、このうち、Per un'ora d'amore がシングルカットされる。 アントネッラ・ルッジェーロとのコラボレーションは、インディペンデント系のグループには到達しがたい、ラジオやテレビへの出演を可能にした。 9月、MTVイタリアのミュージックフェスティバル、MTV Day にて、U2 をヘッドドライナーに迎えたステージで、地元イタリアのバンドのトリに抜擢され大いに注目を集める。 10月、最初のビデオ、Istantanee (イスタンタネー) を発表後、主だったテレビの音楽番組に出演。
1月からの10ヶ月間に約150回のコンサートというへヴィロードを敢行。 Rumore、Mucchio selvaggio など音楽誌の表紙を飾るようになる。 10月、ツアー終了後、セカンドアルバムの制作開始。ファーストアルバムからの最後のシングルとなる Preso blu が発売され、カップリングされた2曲のインストゥルメンタル (都市環境関連のイベントのために創られた、Fiumi urbani と、Daniele Galliano (ダニエレ・ガッリアーノ) の絵画展で使用された Preso blu のリミックス、Blu。) が、ポップグループとしてだけではない、音響プロジェクトとしての スブソニカ の側面を見せることとなる。 (スブソニカ がアンビエント系のグループとして紹介されることがあるのはこのためか?) 12月、「Subsonica」 と ミニライブ 「Coi piedi sul palco」 が2枚組で発売になる。この年、99 Posse (ノヴァンタノヴェ・ポッセ) の曲、Me siente? (マ・スィエンダ) でコラボレーション、このビデオクリップにも出演している。
7月、Non identificato (「Subsonica」に収録) のリミックス U.F.O. がロンドンのレーベル Lacerba からアナログ盤で発売になり(DJ Resident Filters と Terminal Head によるリミックスを含む。)、イギリスの D.J. Magazine のチャートで7位にランクされる。8月末、 Daniele Silvestri (ダニエレ・シルヴェストリ)、 Bluvertigo (ブルヴェルティーゴ) の Morgan (モルガン)、そしてイタリアを代表するハウスミュージックのDJ、Claudio Coccoluto (クラウディオ・コッコルート) らとのコラボレーションを含むセカンドアルバム 「Microchip emozionale」 (Mescal / Universal) を発表。 さらに洗練の度合いを増した新たな Subsonica の世界はプレスからたいへん好意的に迎えられた。 このアルバムは、イタリアのインディーズミュージックのたどる道筋の常識を少なからず覆すことになる。 9月、ボローニャでの MTV Day でのコンサートを最後に、ベースの ピエルファンク がグループを離れ、バス・ヴィーチョ が加入。 10月、ツアー開始。
1月、ヴォーカルの サムエル と元スブソニカ のベース ピエルファンク、DJ Pisti (DJ ピスティ) の3人のユニット、Motel Connection (モーテル・コネクション) が編成される。 2月、スブソニカはサンレモ音楽祭 Big 部門に出場。この後、Tutti i miei sbagli (サンレモ音楽祭出場曲)と Albe meccaniche の2曲を追加した 「Microchip emozionale」 セカンドエディション (Mescal / Universal - 2002年、Mescal / Sony から再発売。) が発売になる。この年のコンサートも10ケ月間に150回以上を数え、1回のコンサートの平均入場者数は約3000人にのぼった。 8月末、キーボードの ブースタ が イェゾロ (ヴェネツィア) の有名クラブ、イル ・ムレットでDJデビュー、DJとしての活動を開始。 10月、ツアー終了、サードアルバムの制作に入る。 11月、MTV・ヨーロッパ・ミュージック・アワード 2000 のベスト・イタリアン・アクトを受賞。 また、曲を提供し、出演した映画、「Tandem (タンデム)」 (Lucio Pellegrini (ルーチョ・ペッレグリーニ) 監督) が公開される。 この頃、オフィシャルサイトへのアクセス数が1週間に約15,000に達する。 (スブソニカのオフィシャルサイトはメンバー自身の手で制作、管理運営されており、 グループとファン、あるいはファン同士の情報、意見交換の場として大変な賑わいをみせている。スブソニカ にはファンクラブがないが、 オフィシャルサイトがそれ以上に機能していると言えるかもしれない。)12月、「Microchip emozionale」 がプラチナアルバムに。 マックス を中心とした スブソニカ がプロデュースする音楽イベント、La notte della groova (ラ・ノッテ・デラ・グルーヴァ) が開始される。
1月末、ブースタ のプロデューサーとしてのデビューアルバム、Monovox (モノヴォックス) の 「Bianco shock」 (Sony) が発売になる。3月、第6回 P.I.M. プレミオ・イタリアーノ・デラ・ムジカ にて、スブソニカ は “2000年に最も躍進したグループ”に、「Microchip emozionale」 は “2000年のベスト・アルバム” に選出される。 6月、7月と、イタリアのインディーズアーティストを中心とした画期的なミュージック・フェスティバル、Tora! Tora! Festival (トラ! トラ! フェスティバル) に参加。 10月、モーテル ・コネクション がサウンドトラックを担当する映画、「Santa Maradona (サンタ・マラドーナ)」 (Marco Ponti (マルコ・ポンティ) 監督) が公開される。 (映画のエンディングには スブソニカ の Nuvole rapide が使われ、サントラアルバムも Sony から発売されている。)
1月、DJ Roger Rama (DJ ロジャー・ラマ)、イタリアの今や伝説のニューウェーブ・グループ、Krisma (クリスマ)、モロッコ人ラッパー、Rachid (ラシッド) らとのコラボレーションを含むサードアルバム 「Amorematico」 (Mescal / Columbia / Sony) 発表。さらに磨きがかかった丹念な曲の造り、ソリッドな音作りと相まって成熟を感じさせる スブソニカ のヴァージョン3.0には発売前から大いに注目が集まり、予約が43,000枚にも達した。 さらに発売直後にはセールスチャートのトップに躍り出る。 2月、ツアー開始。 日本におけるイタリア年のイベントの一環として5月に来日、大阪でコンサートを開催。9月23日のローマの野外コンサートでは50,000人の観客を集める。 10月、グリンザーネ 音楽賞を受賞。 ツアー終了。 11月には再び MTV・ヨーロッパ・ミュージック・アワード の ベスト・イタリアン・アクト を受賞、また、MEI インディペンデント・レーベル・ミーティング 2002 にて、アーティスティック・ビデオ・クリップ特別賞 も受賞した。 11月、サムエル が参加するユニット、モーテル・コネクション の1stアルバム、「Give Me A Good Reason to Wake Up」 (Mescal/Sony) が発売になる。 12月、第3回 IMA イタリアン・ミュージック・アワード にて、ベスト・アレンジメント (Nuvole rapide)、ベスト・グラフィック・プロジェクト (Amorematico) を受賞。 「Amorematico」 がプラチナ・ディスクを獲得。
1月、毎年フランスのカンヌで開催される世界最大の音楽産業見本市、MIDEM (Marche Internatioal du Disque, de L'Edition Musicale et de la Video Musique) において初めて催された、トレンドを担う実力派のイタリアン・ミュージックを世界に向かってプッシュするコンサート、Italia Wave に Tiromancino (ティロマンチーノ)、Carmen Consoli (カルメン・コンソリ) と共に出演。 2月、スタジオ盤のアルバムを3枚しか出していないアーティストとしては異例とも言える、2枚組ライブ、「Controllo del livello di rombo (コントロッロ・デル・リヴェッロ・ディ・ロンボ)」 を発表。 発売後10数週間売上チャートのベスト20内に留まるなど、2枚組ライブとしてはこれまた異例の売行きを見せる。2月、ブースタの作家デビュー作、短編集 「Dianablu (ディアナブルー)」(Mescal Libri) が発売になる。 3月、イラク戦争の勃発と前後して開始されたツアーでは、コンサートの度にバンドを代表してマックスから反戦アピールが出され、コンサートは平和集会の告知の場としても提供される。 また、以前からスブソニカがその活動に注目し賛同している、平和運動 、戦争/紛争被災者の医療救護を中心に活動をするイタリアの民間団体、Emergency (エマージェンシー) の活動をPRするブースが、一度ならず、彼らのコンサート会場に設けられることにもなった。4月、大物外国人ミュージシャンが使用することの多い、アッサーゴ(ミラノ)のフィラ ・フォルムでのコンサートは1週間前にソールドアウト、入場者は12,500人に達した。
ツアー終盤、アクセス増加のためオフィシャル・サイトが非常に開きにくくなるという障害が発生する。 音楽、舞台装置、照明、そして映像が織り成す、アーティスティックかつパワフルなライブが繰り広げられたツアーを7月に終了。 休暇や個別の活動期間に入る。(サムエルは、エレクトロニカ/ダンスミュージックのプロジェクト、モーテル・コネクションのツアーと、イタリア注目の若手映画監督マルコ ・ポンティの第2作目のサウンドトラックの制作。 マックスは、Modena City Ramblers (モデナ・シティー・ランブラーズ) のアルバムのプロデュース。 ブースタは、DJとしてのライブ活動と平行してリミックスアルバムの制作。 ヴィーチョは、イタリアで活動するイギリスのバンド、Too Rude (トゥー・ルード) のツアーに参加。 ニンジャは、ラッパー、Frankie Hi-NRG MC (フランキー・ハイ・エナジー) のツアーに参加。) 10月、スブソニカの友人でもある地元トリノの音楽ジャーナリスト、パオロ・フェラーリ (Paolo Ferrari) によるスブソニカのバイオグラフィ、「Anomalia Subsonica -Biografia ufficiale- (アノマリア・スブソニカ -オフィシャル・バイオグラフィ-)」 が発売され、約1週間で初版6000部を完売。 11月には、トレンドマガジン等のみならず、一般紙からも好意的な書評を得ていたブースタの処女作、「ディアナブルー」が、大手出版社 Baldini Castoldi Dalai (バルディーニ・カストルディ・ダライ) から再出版された。
1月11日、公式に4枚目のアルバム製作開始を発表。スブソニカとしての表立った活動は予定されていない年だったが、メンバー個々のパラレルプロジェクトやコラボレーションの話題等がイタリアの音楽シーンを賑わし、あいかわらずの彼らのへの注目度の高さがうかがわれた。 1月、マックスがプロデュースしたモデナ・シティ・ランブラーズのアルバム「¡Viva la Vida, Muera la Muerte! (ヴィヴァ・ラ・ヴィダ、ムエラ・ラ・ムエルテ)」が発売になる。4月、マルコ・ポンティ監督の映画「A/R Andata+Ritorno (アンダータ・エ・リトルノ)」の公開と同時に、サムエルのプロジェクト、モーテル・コネクションによる映画と同名のサウンドトラックアルバムが Mescal/Sony から発表になる。 同じく4月、"I Like Ciopin" など80年代のイタリアのヒット曲をエレクトロクラッシュをキーワードにリミックスした、ブースタのソロアルバム 「:ICONOCLASH (イコノクラッシュ)」 が Sony から発表される。 5月、スブソニカとのコラボレーションである、Linea 77 (リネア・セッタンタセッテ) の "66 Diabolus in Musica (セッサンタセイ、ディアボルス・イン・ムズィカ)" のビデオがMTVイタリア等でオンエア開始。 7月、マックスがプロデューサーを務める、音楽を中心とした地元トリノ市のフェスティバル、トラフィック・トリノ・フリー・フェスティバルが、イギー・ポップ & ザ・ストゥージスをメインゲストに開催される。後日、2006年までマックスが同イベントのプロデューサーを務めることが決定している。 8月、DJブースタがチューリッヒ (スイス) のストリートパレードに Mauro Picotto (マウロ・ピコット) らとともに出演。 9月、スブソニカ初のDVD 「Cielo Tangenziale Ovest (チエロ・タンジェンツィアーレ・オヴェスト)」 が発表される。このDVDは、発売直後イタリア国内のDVDセールスチャートのトップにランクインする。これと前後して、スブソニカのEMI傘下のレーベルへの移籍と、マックス・カザッチ製作の新レーベル、カザソニカの誕生が発表された。同じく9月、マックスとサムエルとのコラボレーション "Triathlon (トライアスロン)" を含む、Cristina Donà (クリスティーナ・ドナ) のワールドデビューアルバム 「Cristhina Donà」 が発売されている。 (日本ではビデオアーツ・ミュージックから発売。) 同年9月の話題がもうひとつ、スブソニカのブースタによるリミックスを含む、Client のシングル "Radio" がヨーロッパとアメリカで発売になっている。 (Client は、デペッシュ・モードのアンドリュー・フレッチャーがプロデュースする、イギリスの女性DJユニット。)
2月11日、スブソニカの4枚目のアルバムのタイトル 「Terrestre (テレストレ)」 と発売日、4月22日が発表になる。 このニュースは音楽関連サイトのみならず、ANSA通信が配信するや否や、一般紙でも一斉に伝えられ、スブソニカへの注目度の高さがうかがわれた。また、同日、マックス・カザッチ製作のレーベル、カザソニカからの第1弾、Sikitikis (スィキティキス) のデビューアルバム 「Fuga dal deset del Tiki (フーガ・ダル・デゼルト・デル・ティキ)」 (プロデュース: Alessandro "Ale" Bavo (アレッサンドロ・バーヴォ)) が発表になった。 カザソニカは新人アーティストのためのレーベルとしてだけではなく、これらのアーティストや、スブソニカとその平行プロジェクトのマネジメントオフィスとしても機能している。4月22日、スタジオ盤としては3年ぶりとなる4thアルバム「Terrestre」が発売になる。直後の公式セールスチャートでは、同日発売だった超大物ブルース・スプリングスティーンの「Devils and Dust」に次いで2位だったが、第2週目にはスプリングスティーンを下し、堂々1位の売り上げを記録、さらに発売から1ヶ月あまりでプラチナディスクを獲得した。5月、ツアー開始。セカンドアルバムに収録されている "イル・チエロ・ス・トリノ" が、冬季オリンピックを控えたトリノ市のプロモーションフィルムに使用される。このフィルムは5月27日名古屋市で、同市とトリノ市の姉妹都市締結の際にも上映された。6月、NHKのテレビ・イタリア語会話で "Abitudine" のプロモーションビデオがオンエアされるが、これがイタリア以外の国でスブソニカのビデオの初のオンエアらしい。同じく6月、日本の音楽誌ロッキング・オンもロックの茶番化と非難した LIVE 8 への出演依頼があったが、少しも自分たちの納得のいく催しではないとして、これを断っている。増加の一途をたどる観客の収容が可能な大規模会場でのコンサートが2年ほど前から続いていたスブソニカ、観客との距離が近い、あの熱い雰囲気が恋しくなったらしく、11月から12月にかけて "Be Human Club Tour" と銘打ったクラブ/ハウスを巡るコンサートツアーを行う。このツアーの開始は、イタリア国営RAI第3放送の全国版ニュースでも報道されるような話題となった。11月末、ブースタの2冊目の本 「Un'ora e mezza」(ウノーラ・エ・メッザ) が出版される。また、日本ではこの年の12月に発売になったゲームソフト FIFA 06 のサウンドトラックに、「Terrestre」 収録曲 "Corpo a corpo" が使用されている。
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